暮れの挨拶を手短に。
2005年ももうすぐ終わりますね。今年一年、ありがとうございました。
来年は、私にとって、私に関わってくれる全ての人にとって、勿論このブログに偶然通りかかり「なんだこのキモヲタは」と思っただけの方も含めて、良い年でありますように。
今年は……、どんな年だったかな。
正直、何もできなかったね。私は、色々あって、ちょっとこれからが大変かな。まあ、何とは言わないけど……。
自分の蒔いた種は自分でなんとかしないといけませんからね。
今年は、色んな意味で「人と人との繋がりの尊さ」を痛感した年でした。
プライベートでも、ネット上でも色々あった。親子喧嘩に兄弟喧嘩と枚挙にいとまがない。
親戚とも死別した。幼馴染とも死別した。
その一方で懐かしい人と再会したり。出会いがあって、別れがある。
ARIAという、このブログでも取り上げていた作品があります。
その作品に、こんなシーンがあるんです。
いつも、一緒にいるのが「当たり前」な仲良しの3人組が居るんですね。
その3人が、それぞれの師匠にあたる人間が、かつて自分達のような間柄にあったことを知ります。
しかし、今はそれぞれの道を歩み、なかなか会える機会がない。
それを聞いたときに、主人公は、「私達もいずれ離れ離れになってしまうのでは……」と強く意識してしまいます。
別れ際。いつものように別れて、きっとまた明日あえる。そう思っているのに、何故か涙が止まらない。
去り行く二人を、ただ見送ることができず、呼び止め、「またね〜」と涙で手を振り続けるシーンがあった。
解りますかね、この気持ち。これを見たとき、凄く感動したのを覚えています。
昨日書いたように、先日高校時代の友人と久々に再会しまして。その別れ際に、ふとこのシーンの事が頭に過ぎった。
「今度は二月に飲もうね」
そう約束して帰ってきた。……約束は、確かにしました。
しかし、その約束が果たされる保障は無い。約束はしばしば罪作りな存在になります。
かつて、私が曾祖母を亡くした時のお話。なくなる前日に、お見舞いにいったんです。
元気な曾祖母をみて安心し、「直ったらまた遊ぼうね」そう約束して帰ってきた。
その翌日、まさか訃報を聞く羽目になるとは、夢にも思わなかった。
これは極端な話ではありますが、「また会える保障はない」んです。
……会えなくなってからでは遅いんです。
無駄な出来事、無駄な時間。そんなものはない。「当たり前の日常」の尊さは、失ってから気づくもの。
今こうして私と一緒に居てくれる人々と、何故出会えたんだろう。
……神の遣わした奇跡なんでしょうかね。
……そう、「奇跡」だったんですよ。出会う段階では。
その奇跡が、いつしか、「当たり前」に発展していく。
「奇跡というのは、起こらないから奇跡って言うんですよ」
これは、とある作品の名台詞です。重病を患った女の子が、自らの病気が治る、きっと奇跡が起こる、と言われた際に悲観的に発した言葉です。
そんな風に例えられるほど、人と出会えることは凄いことなんだと思います。
来年の抱負。いつどうなるか解らない人生だから、どんな些細なことでも、全ての事に一生懸命に。
私に関わってくれる両親、友人達にに、それが「あたり前」であっても、感謝の気持ちを忘れずに。
そうすれば、きっと、「良い年だった」と胸を張っていえる一年が過ごせると思います。
道を造ってくれてありがとう。
道を照らしてくれてありがとう。
道を共に歩んでくれてありがとう。
2006年が、良い年でありますように。