ドラマ、小早川伸木の恋終了


アニソン聴きながら真面目な事が書けるのか実験中(マテ)

…多分書いている途中にコブクロのアルバムのゾーンに勝手に移行するでしょうが(笑)



さて、小早川伸木の恋が晴れて最終回を迎えましたね。以前書きましたが、今クールのドラマの中では、個人的には一番の期待作でした(他には喰いタン時効警察くらいしかチェックしてませんでしたが)


最終回を見ての感想としては、なんとかまとめたかな〜って所です。原作は未完結ですから、どうなるのかと思っていましたが。


この作品の内容については、ブログでは一回も触れたことが無いので一切触れずに、この作品の最終的テーマについて考えて見ます。



傷つきたくない一心で、仕事からも家庭からも逃げていた信木。

仕事では自らの想いを押し殺し、上司の方針に従い続け、家庭では、その平穏を脅かさぬよう、妻の表面的なご機嫌取りに悪戦苦闘する日々。

しかし、それが結局双方のすれ違いの原因だった訳ですね。妻の本質を見ようとしなかった。言いたいことも言い合えず、何が夫婦かと本人の弁。

ちょっと変な話ですが、これはいわゆる同棲カップルの例に置き換えると解りやすい(したことねーだろ!!)。

最初は、普通に付き合って、「一緒に住もうか?」という流れになる。で、いざ一緒に住み始めると、今まで知らなかったお互いの癖であったり、嫌いな部分であったり、そういったものが見えてきてしまう。

そこで、それを指摘しあえるようになることが「カップルとしての成長」なんですよね。

信木は、調停の場で、「必死に妻に合わせてきた」と言っていた。それじゃあいけないんですよね。

ちゃんと話をして、相互理解(良い部分も悪い部分も)深めながら共に歩んで、お互いに成長していかなければならなかったということです。


一方の妻の妙子は、「自分の足で立つことの大切さ」を実感することになります。
妙子にとって、信木が全てであった。あまりに愛しすぎていて、心の余裕が無かった。
その結果、常に自分の理想を追い求め、信木を追い詰めることになってしまったと。

しかし、妙子は、自分の理想を掲げるだけで、自分が何かしようとはしなかった。信木に自分の理想を押し付けていただけ。

自分の夢や理想を叶えるためには、相手どうこうではなく、まずは自分の力でその夢や目標に向かっていかないといけないという事に、ようやく気づいたわけですね。



で、作田カナ。
これに関しては、本人の弁そのまんまですね。「幸せは与えられるものではなく、自分の力で得るものである」ということ。

夫と死別する不幸。しかしその後の信木との出会いで彼女の心に光が射す。

信木を好きになり、「彼なら私を幸せにしてくれる」。そう思っていたわけですが、それは違ったわけですね。

「してもらう」のではなく、自分で「幸せになる」。そう決意します。




ってことで、一貫してますよね。

「自分で切り拓いた道を信じて歩む」事の大切さ、難しさ。

最後の台詞で「俺達の選んだ道が正しいかは解らない。だからこそ、自分の道が正しかったと信じて前にすすむしかない」というものがありましたが、それが全てでしょう。

立ち止まって「これでよかったのだろうか?」と思った所で、来た道を引き返すことはできません。

だったら、「正しいんだ!」もしくは「正しくしてやる!」くらいの強い気持ちを持って、前に進んだほうが良い。

それに、万が一その道を踏み外したり、誤った道にはいっていたとしても、きっとまたやりなおせる。

その事を、離婚であったり、美村教授の件であったりで表現しているという事か。

こんな感じで、一貫したテーマに沿って、上手くまとまったかなと思いますね。なかなか面白いドラマでした。



そういや、調停の場面での、仁志(藤木直人)の「子供を踏絵にする気ですか!!」という台詞にはどきっとしましたね。

妙子が、離婚を求める信木に対して、「この子(みすず)の為にも…」と、自分達が夫婦である必然性が、子供にあるのだと主張していた事を受けてですが、踏絵という例えにはうならされましたね。

親が子の幸せを願うように、子も親の幸せを願っている。だからこそ、みすずちゃんは、両親の知りえる限りの長所をお互いに言い聞かせていたんですね。

みすずちゃんは、私が寂しいから、困るから、離婚して欲しくなかったのではなく、ただ両親が険悪になっているのをみて、大好きな両親に幸せで居て欲しかった。それだけだったんですね。うーん、良い話ですわ。




後、大泉洋の相手役の方(桜井千寿さん)、誰かと思ったら、ドラマの電車男のネットの住人で、「私女だけど…」って言っていた人か。通りで見たことあるわけだ。