ARIA THE NATURAL16〜17話


アニメ系記事出血大サービスになっているんですが、これにはちょっと理由があって、一般記事をちょっと他所に回してるんですよね…。

まあ、このブログのアクセスの主力は、アニメ記事の一見さんなので…。



16話「その ゴンドラとの別れは・・・」

17話「その 雨降る夜が明ければ…」


実質この2話でひとくくりです。

主人公の灯里(あかり)が、新人時代からずっと使ってきたゴンドラの老朽化が進み、客を運搬するのが困難になり、お別れをする話です。

そのゴンドラに乗って思い出の地を巡ったり、その上で最後にアリシアさんと食事をしたり、最後の日、雨の降る中一人ゴンドラに抱きついて涙を流したり…そんなお話。

そのゴンドラは、取り壊されたりする訳ではなく、荷物を運搬するために使われるようになるんですが、後日、新しいゴンドラを漕いでいる時に、偶然すれ違います。
自分で付けたキズがあるので、見分けがつくんですね。


ところで、この話ってどうなんだろう。視聴者でこの灯里ちゃんの態度に共感できた人ってどれくらい居るんでしょうか?

私は、ものすご〜く灯里ちゃんの気持ちがわかるんですよね。


私って、物に物凄く愛着を持つ人間なんです。端から見たら少し極端なのかも知れませんが…。


結構昔の話ですが、私が物心ついた頃から乗っていた車、ラングレーという車種でしたが、それを買い換えることになったんです。

そのラングレーを、下取り業者が引き取りに来て、持って行ってしまう訳なんですが、去っていくラングレーを、大声で泣き叫びながら走って追いかけていったのをはっきりと覚えています。

その車に乗って、色々な場所に行きましたからね。当時夏の慣例だった家族旅行。今旅行に行っても正直大した感銘は無いんですが、当時は違いましたからね。見るもの、体験するもの全てが新鮮で。家族との楽しい思い出の中には、いつもラングレーが居たんです。

これは結構最近の話なんですが、物心ついたときから使っていたコップを割ってしまって、これも物凄くショックで泣いてしまいました。

朝、そのコップを使うのが私の習慣だったんです。
加えて、そのコップは、柄は若干違いますが、同じメーカーというか、同じシリーズで家族で統一されていたんですよ。

今は、家族がばらばらというか、同時に食事を摂る機会も多くない訳なんですが(しかも父は単身赴任だし)、毎朝、そのコップを見ることで、家族の存在を再確認していたんですよね。
ですから、私にとっては、「家族の絆の象徴」であったんです、そのコップは。

こういう話は、誰かに話してもきょとんとしてしまう事が多いです。

そういう人は、いま一つ今回の話には共感できなかったのかなと思います。

でも、灯里ちゃんならきっと親身に聞いてくれるんだろうなぁ…。


でも、人が成長していく上で、別れは絶対に必要な事なんですよね。

出会いがあるから別れがある。別れがあるから出会いがある。至極当たり前の事なんですけどね。

やっぱり別れは辛い。辛いからこそ乗り越えたときに大きな見返りがあるんだと思いますが、辛いもんは辛い。

でも、そこから「逃げない」事が大切なんでしょうね。

月並みな言葉ですが、別れたって自分の心の中に息づいている、というのは綺麗事でもなんでもない、真実であると思いますしね。