逡巡の果てに
先日、ネット上でちょっとしたミスを犯してしまいました。
ただ、振り返って、ミスというものとは異なる気がして仕方ないのです。私という存在の問題という気がしてならないのです。
自分に芯があるというのは良いことですし、私は頑固なのは良いことだと思っています。
頑固なのは良くないよと言われますが、基本的に自分の嫌いな所が腐るほどある私にとって、誇れる数少ない所です。
こんな私でも譲れない何かがある、ポリシーがある、というのは、生きるエネルギーにつながります。
ただ、それを通して良いときと、そうで無いときがやはりあるのです。
私は、年齢的には大人の範疇に入ります。しかし、実際問題、まだまだ子供なのかな、と気付かされました。
今まで意識しなかった事を数多く意識する事になりました。
私は、実生活においては、是が非でも成し遂げなければいけない事があり、それに向けて頑張っていますし、頑張らなくてはいけません。
今は、ちょうどその中間地点で一休みしている立場です。
そんな私に、久しぶりのインターネットでの生活はあまりにも甘い蜜に過ぎたのかも知れません。
人間、気を抜くこと、楽をすることは絶対に必要なことですが、それが度を過ぎると、それに甘え過ぎると、しっぺ返しを食らいます。
私は今後、色々な経験と反省を生かして、自分の行いを改善していくことはできると思います。
できますが、人間とは油断する生き物です。休まないといけない生き物です。いつか、ボロが出ると思います。
そんな時に、私は責任がとれるのでしょうか。
ネットでの居場所を失った私が、しばらくして作ったのがこの場所です。自分によって、自分の為に作った。ここは、正真正銘、私の居場所。
程度問題こそあれ、私が私として好きにしていて良い場所。
私は、この場所から出てはいけないのかも知れません。
人が誰かと関わることは尊いこと。尊いことですが、その分酷なのです。
私は、いろいろな所で色々な問題に遭遇しました。本当に様々な。不条理な出来事にもたくさんあいました。
その時は、相手方を呪ったものでした。ひどいことをしやがって、と。
しかし、それは私がまいた種だったのかも知れません。
私に後悔がないから、危機感がないから。私が私という存在であったから。
悪いのは私なのに、気付くすべがなかったのかも知れない。
でも、そうなのかといぶかしんで振り返ってもやはりそうは思えない。そこが私の限界なのかもしれないと思うのです。
私がこのブログを始めた大きな理由は、文章を書くためです。文章を書くのが大好きだから。私が人に何かを伝えることのできる手段があるとしたら、きっと文章しかないから。文章は書かないでいると、感覚が薄れていくものだから。
このブログの存在意義を、私はそういう方向性で見出していました。その意味が薄れかけていた先日まで、私はこのブログを放置するにいたります。
しかし、一筋の光明が差した。文章を書いてみよう。その結果、いろいろな事があり、いろいろなことが見えてきました。
私は、文章を書くという事でなく、その先に意味を見出そうとしていた。自分に翼が生えていて、空を飛べるような気がしていたんです。
でも、私に翼は生えていなかった。当たり前です。
私は、今こうしてこんな文章を書いていても楽しかったりするんです。不思議なものです。やはり文章を書くのが好きなんでしょう。
一度、原点に立ち返る必要があるのかもしれません。私という存在も含めて。
ですから、文章の先の何かを得るためではなく、文章を書くために文章を書こうと思います。そうすれば、今まで知らなかった何かが見えてくるかも知れない。
私は、既に出来上がった何かではなく、文章を書いているだけの何かになるべきなのです。
誰かに強く認識される特別を目指すのではなく、大勢にほんの一瞬認識される普遍へと。そう思うのです。
普遍と特別、表裏一体なのです。普遍を知らずして、特別たることはできないのであるから。